グリル一平とは
  • 子から孫へ。受け継がれる味とサービス。

    グリル一平とは、1952年に初代店主横山カン(現オーナーシェフ山本隆久の祖母)によって
    当時神戸で一番華やかだった新開地で創業した洋食屋です。


    開店当時は映画館がとても多く、皆が「ええとこ、ええとこ、しゅーらっかん!」と謳い愛した
    聚楽館もありました。
    その頃は「東の浅草、西の新開地」と言われるほど栄華を極め、「正月三が日で40万人が来街」するなど
    現在の「神戸ルミナリエ」に匹敵する人を集めた記録も残っているほど神戸の伝説として
    語り継がれています。


    開店後すぐに県の調理師会で会長も務められた松本氏を迎え、現在の一平の味が完成されました。
    1995年に震災で創業時の店舗は全壊しましたが、コンテナ6つを使った急造の店舗ですぐに営業を再開。
    この時のコンテナをお世話して頂いたのは常連のお客様のおひとりでした。
    そして、生放送のテレビニュースで伝えられたこのエピソードは
    被災地の方から元気付けられたと嬉しいお便りを頂きました。


    このようにお客様によって支えられながら味を守り続けて58年。
    皆様が愛して下さる一平の味と歴史を、これからも守り続けます。


歴代店主
初代 横山カン
二代目 山本隆正
三代目 山本隆久
  • 三代目店主 オーナーシェフ山本隆久

    三代目店主 オーナーシェフ山本隆久

    1988年にグリル一平に入社。
    13年間やってきた喫茶店を、父である山本隆正が経営する「グリル一平」の味を守る為に閉店。
    32歳と遅い転身ながら「味を守ることの使命感」から洋食の道をひたむきに邁進。
    震災により料理長が退任された事をきっかけに新料理長として就任。

    数々のメディア取材のほか、ニチレイの冷凍食品開発(上等洋食デミ・マカロニ)や
    自店コックの独立支援、震災復興活動など「洋食屋として出来る事」に尽力。


    現在に至る。


    ※独立された方の一部をこちらでご紹介しております。 >>一平の輪

グリル一平と新開地の歩み
1945年 神戸大空襲
聚楽館・松竹座・ガスビルを残して地区内全焼
1946年 新開地南側の半分が米軍キャンプに接収
戦災復興の大幅な遅れ
1950年 新開地南側の半分が米軍キャンプに接収
戦災復興の大幅な遅れ
1952年 初代店主横山カン(現オーナーシェフ山本隆久の祖母)に
よって新開地で洋食屋グリル一平を創業
1960年 映画館の入場人口が最盛期に
1965年 市電新開地駅(三角公園操車場)が廃止
1966年 神戸高速鉄道新開地駅(地下鉄)が開業
1968年 新開地タワー(神戸タワー)が撤去
1973年 第一次オイルショック
沿岸部の川崎重工・三菱重工などの工場縮小が始まる
1976年 演芸の殿堂・松竹座閉館
1978年 新開地の象徴・聚楽館閉館
1983年 湊川温泉劇場の閉館
1984年 新開地周辺地区まちづくり協議会の結成
1989年 コーポラティブハウス神戸1竣工
(集合住宅集積の始まり)
1990年 新開地モール(商店街の海側)の竣工
再開発計画など新しいまちづくりの準備作業がすすむ
1995年 阪神・淡路大震災により、甚大な被害を受ける
1995年 震災により創業から営業していた店舗が倒壊
お客様の協力もあり同年、仮設店舗での営業再開をはたす
1996年 新開地アートゲート(被災した商店街アーケード)竣工
神戸アートビレッジセンター開館
1999年 新開地2丁目・6丁目再開発ビルのオープン
(震災復興再開発の終了)
ボートピア神戸新開地オープン 新開地まちづくりNPOが発足
2001年 大京聚楽館ビル(ボーリング場)オープン
「第1回 新開地音楽祭」の開催 ハード・ソフトとも、
まちの環境整備を進める
2002年 新開地商店街シンボルゲート「BIGMAN」竣工
2003年 「第1回 新開地映画祭」の開催
2004年 新開地2丁目商店街アーケード竣工
2005年 新開地地区生誕100年
(旧湊川埋立完了から100年)
2005年 大阪の道頓堀フードテーマパーク内に出店
2007年 元町店オープン
写真で見るグリル一平と新開地の歩み
写真で見るグリル一平と新開地の歩み
写真で見るグリル一平と新開地の歩み
写真で見るグリル一平と新開地の歩み
新開地本店元町店三宮店